どうも、神楽坂・江戸川橋・早稲田の貸切りパーソナルジム GAIN 代表で絶対ダイエット請負人の上地裕作です。

上地 裕作
- 神楽坂 江戸川橋パーソナルジムGAIN 代表
- JBBF 2018関東メンズフィジーク選手権 準優勝
- ベストボディ・ジャパン2017東京オープン大会 ミドルクラス グランプリ受賞
- 得意分野 ボディメイク、ダイエット
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意識なしの人生に劣化はすぐ訪れる
人生というのは、不思議なもので「何もしなくても勝手に良くなる」ことはほぼありません。
目標を持たず、意味を感じず、ただ日々を消化するように生きていると、気づかないうちに心も身体も、そして思考までもがゆっくりと腐っていきます。
怖いのは、その劣化が一気に来るのではなく、本人が自覚できないスピードで進行することです。
本記事では、そんな“人生が静かに崩れていく人”に共通する特徴を11個挙げていきます。
今の自分を守るためのチェックリストとして、ぜひ読み進めてください。
「今は忙しい」を理由に変わらない毎日を過ごす
「今は忙しい」。
この言葉を無意識に使い始めた瞬間から、人の人生は静かに停滞し始める。
仕事が立て込んでいるから。
家庭があるから。
今はタイミングじゃないから。
理由はいくらでも量産できるが、その本質は一つしかない。
それは「今の自分を変えなくていい理由」を自分自身に与えているだけだということだ。
実際、「今は忙しい」と言う人は、1ヶ月後も同じことを言う。
半年後も、1年後も、10年後もだ。
忙しさの中身は変わっても、言葉だけは驚くほど変わらない。
なぜなら、人生において「忙しくない時期」などほとんど存在しないからだ。
仕事が落ち着けば別の仕事が増える。
時間が空けば新しい用事が入る。
責任が増えれば、さらに忙しくなる。
つまり、忙しさが消えるのを待つという発想そのものが、永遠に動かない選択をしているのと同じなのである。
一方で、人生を前に進める人間はまったく逆の行動を取る。
忙しい中でこそ、何を削り、何を残すかを決める。
疲れていても、短時間でもいいから身体を動かす。
完璧でなくても、とにかく手を付ける。
彼らは「時間ができたらやる」のではなく、「やるために時間を作る」。
筋トレも勉強も、すべて同じ構造だ。
忙しいから始められない人は、暇になっても始めない。
なぜなら問題は時間ではなく、行動しない思考にあるからだ。
「今は忙しい」という言葉は、やらない自分を正当化するための最強の言い訳に過ぎない。
その言葉を使い続ける限り、人生は変わらない。
むしろ、何も変えないことを選び続けた結果として、確実に劣化していく。
「今は忙しい」を捨てた瞬間からしか、人は本当の意味で前に進めない。
何も疑わず家と職場の往復だけ
家と職場の往復だけ。
平日は仕事に行き、夜は帰宅して寝る。
休日は疲れを取る名目で家にこもる。
この生活を「安定している」と勘違いした瞬間から、人生はゆっくりと枯れていく。
なぜなら、家と職場の往復だけの人生には「発見」も「刺激」も存在しないからだ。
人は新しい場所に行き、新しい人と話し、新しい価値観に触れたときにしか更新されない。
同じ景色、同じ会話、同じ行動を繰り返していれば、思考が固まるのは当然だ。
昨日と同じ一日を過ごしている限り、明日が良くなる理由はどこにもない。
さらに致命的なのは、人との出会いが完全に固定されることだ。
家と職場を往復するだけの生活では、出会う人間の層も思考も価値観も変わらない。
あなたの人生を一段階上に引き上げてくれる可能性のある人。
考え方を揺さぶってくれる人。
行動の基準を変えてくれる人。
そういった存在に出会う「チャンス」そのものが、物理的に排除されている。
人は環境の影響を強烈に受ける生き物だ。
何も疑わず、与えられたルートを往復しているだけでは、思考停止したまま年齢だけを重ねることになる。
それを「普通」「みんな同じ」と言って安心している間にも、人生の選択肢は静かに減っていく。
人生を変えたいなら、まず移動しなければならない。
場所を変える。
行動を変える。
会う人を変える。
家と職場の往復を抜け出した瞬間にしか、人生が好転する可能性は生まれない。
身体に入れる食事に無頓着、体も頭も重い
身体に入れる食事に無頓着な人は、自分の人生そのものを軽視している。
身体は気合や根性で動いているわけではない。
昨日、何を食べたか。
1週間、どんな栄養を入れてきたか。
その積み重ねで、今の身体も思考も作られている。
それにもかかわらず、多くの人はこの事実を驚くほど軽く扱う。
空腹を満たせればいい。
手軽なら何でもいい。
忙しいから仕方ない。
そうやって、糖質と脂質に偏ったジャンクを放り込み続ける。
当然、身体にはダメージが蓄積する。
食べ過ぎれば身体は重くなる。
食べなさ過ぎれば集中力が落ちる。
栄養が偏れば、頭は回らず、気力も湧かない。
これは感覚論ではなく、生理的な事実だ。
それでも「最近やる気が出ない」「集中できない」と嘆くのだから、話が噛み合わない。
時折、電車の中で死んだ魚のような目をしたサラリーマンを見かける。
肩は落ち、背中は丸まり、表情には生気がない。
きっと昼ご飯は、コンビニのクリームパンと缶コーヒーだろう。
もちろん決めつけだ。
だが、そう思われても仕方がない身体と顔をしているのも事実だ。
食事を雑に扱う人間は、判断力も雑になる。
身体が重ければ、行動は鈍る。
頭が回らなければ、挑戦は避ける。
その結果、人生そのものが停滞する。
何を食べるかは、どう生きるかと直結している。
食事を変えずに、人生だけ変えようとするのは無理な話だ。
身体と頭が重いのは、運でも年齢でもない。
ただ、自分が選んできた食べ物の結果に過ぎない。
本を読まない、勉強もしないがSNSでは評論家
本を読まない。
勉強もしない。
それなのにSNSでは一丁前に評論家を気取る。
このタイプは、思考が止まっていることにすら気づいていない。
人間の脳みそは、放っておけば自動的にアップデートされるものではない。
時代は変わり、価値観は更新され、ルールも常識も数年単位で書き換えられていく。
にもかかわらず、10年前と同じ知識、同じ感覚のままで今を語ろうとする。
それは最新OSが求められる場面で、ガラケーを振り回しているようなものだ。
書籍というのは、冷静に考えれば異常なコストパフォーマンスを誇る。
数百円から数千円で、他人の失敗、成功、試行錯誤、人生の濃縮エッセンスを覗ける。
しかも、著者は何年、何十年もかけて得た知見を、整理して差し出してくれている。
それを「忙しい」「読むのが苦手」で切り捨てるのは、単なる怠慢だ。
一方で、SNSはどうだろう。
断片的な情報。
感情的な意見。
誰かの受け売りを少し言い換えただけの薄っぺらい主張。
それらを眺めては、分かった気になり、語った気になる。
いい大人が、最低限の時事ネタすら自分の言葉で説明できない。
背景も構造も理解していない。
それでいて「世の中おかしい」「政治が悪い」「会社が悪い」と語る。
それは三流どころか、議論の土俵にすら立っていない。
学ばない人間ほど、声が大きくなる。
調べない人間ほど、断定したがる。
本を読まず、知識を更新しない限り、思考は錆びつく。
その状態で発信する言葉に、価値など生まれるはずがない。
SNSで他人の幸せや不幸を見て一喜一憂
SNSで他人の幸せや不幸を見て、一喜一憂する。
この習慣が染みついた瞬間から、人の人生は確実に削られていく。
偏見と言われるのを承知で言えば、これは女性に多く見られる現象だ。
感情移入の能力が高い分、他人の人生を自分のことのように受け取ってしまう。
自分にはまだ子どもがいない。
そんな時に、友人の出産報告が流れてくる。
祝福すべきだと頭では分かっている。
それでも心の奥に、説明しづらい嫉妬や焦りが湧く。
素敵な彼氏と旅行。
高そうなレストラン。
いわゆるリア充投稿を見て、「なんでこいつだけ」。
夜の世界で成功している女性を見て、「顔で金稼ぎやがって」。
口には出さなくても、感情は確実に汚れていく。
昔はこんな世界ではなかった。
他人の生活は、基本的に見えないものだった。
どんな仕事をしているのか。
どんな恋愛をしているのか。
どれくらい稼いでいるのか。
それらは、言わばブラインドボックスだった。
しかし今は違う。
SNSを開けば、他人の人生のハイライトだけが無限に流れてくる。
しかも、苦労や失敗は削ぎ落とされ、綺麗な部分だけが強調されている。
そんなものと自分の日常を比べれば、心が摩耗するのは当然だ。
見えなくていいものが見える世界は、正直かなり残酷だ。
だからこそ、強い信念を持って「SNSは見ない」という選択をしてもいい。
情報弱者になるわけでもない。
人生に取り返しのつかない損害が出るわけでもない。
断言していい。
SNSは、あなたの人生を良くするほどの影響力など持っていない。
むしろ、静かに集中力と自尊心を削る存在だ。
他人の人生を眺める時間があるなら、自分の人生を生きたほうがいい。
筋トレも勉強も三日坊主、買って満足の金ドブ
筋トレも勉強も三日坊主。
いや、正確に言えば三日すら続かない人間も少なくない。
このタイプに共通するのは、「行動」ではなく「購入」で満足してしまうことだ。
モノやサービスにお金を払った瞬間に、なぜか自分が前進した気になってしまう。
パーソナルジムでよくある話に置き換えてみよう。
入会した時点で、頭の中ではすでにボディメイク完了。
やる気は最高潮。
ウェアも揃え、シューズも新調。
ところが、実際に来館するかというと話は別だ。
こちらから来館を促す。
連絡を入れる。
予約の提案もする。
それでも無視。
正直に言えば、ここまで来るとジム側にできることはほとんどない。
身体は、本人が動かさなければ変わらないからだ。
これは筋トレに限った話ではない。
書籍もまったく同じ構造をしている。
「誰でも1ヶ月で中学英語がペラペラに」。
そんな甘いタイトルに惹かれて本を買う。
買った瞬間は、なぜか少し賢くなった気分になる。
だが現実はどうか。
最初の5ページを読んで満足。
あとは本棚のどこかに無造作に放置。
存在すら忘れられ、数年後に引っ越しの荷物として再会する。
知識は1ミリも身についていない。
原因ははっきりしている。
能力でも環境でもない。
「絶対に自分に負けない」。
「途中で投げない」。
「やり切る」。
このマインドセットが、そもそも存在しないのだ。
行動を継続できない人間は、何を買っても変われない。
お金を払うだけで人生が変わるほど、現実は甘くない。
自分との約束を守れない限り、筋肉も知識も、一切積み上がらない。
過去の小さな成功にしがみつく
過去の小さな成功にしがみつく人間は、今を生きていない。
人は誰しも、長く生きていれば多少の成功体験を持っている。
仕事で評価されたこと。
学生時代に結果を出したこと。
一時的に収入が伸びたこと。
問題は、それをどう扱うかだ。
成功体験は、本来「次に進むための起爆剤」であるべきものだ。
あの時できたのだから、今もできる。
そうやってマインドを更新し、行動に変換できれば意味がある。
しかし、多くの人は逆を選ぶ。
過去の栄光を繰り返し語り当時の自分をアイデンティティにしてしまう。
だが、どんなに輝いていた過去でも、時間が経てば貯金は尽きる。
周囲の記憶からも、静かに消えていく。
本人だけが覚えている成功ほど、痛々しいものはない。
過去の自慢話を聞かされる側ほど、苦痛な時間はない。
相手の頭に浮かんでいるのは、称賛ではない。
「で、今はどうなん?」。
それだけだ。
今の成果がない人間ほど、昔の話をしたがる。
今が充実していれば、過去を持ち出す必要などないからだ。
過去に縋るという行為は、成長を放棄した宣言に等しい。
小さな成功体験に一生しがみつく生き方は、正直おすすめしない。
それは、自分の可能性に自分で蓋をする行為だからだ。
過去は踏み台にするもの。
居座る場所ではない。
嫉妬を認めず、他人を下げて立場を保つ
嫉妬を認めず、他人を下げて立場を保つ。
これは人間が最もやりがちな、そして最も卑怯な自己防衛だ。
自己評価を上に持っていく方法は、実は二つしかない。
自分が上がるか。
他人を下げるか。
本来は前者を選ぶべきだ。
努力して実力をつけ、結果を出し、評価を上げる。
だが、それには時間も覚悟も必要になる。
だから多くの人は、手っ取り早い後者を選ぶ。
日本は良くも悪くも同調圧力の強い社会だ。
出る杭は打たれる、どころか抹殺されることすらある。
なぜそんな意味不明な文化が根付いているのか。
答えは単純で、他人の変化は自分の立場を脅かすからだ。
実は、あなたの周りの人間は、あなたに変わってほしくない。
これは冷たい事実だが、かなりの確率で当てはまる。
あなたが努力して成長し、行動を変え、収入や身体や価値観が変わってしまったら相対的に、自分が下に見えてしまう。
だから、あなたがリスクのある行動を取ろうとすると全力で止めに来る。
「やめとけ」。
「危ない」。
「失敗したらどうする」。
一見、心配してくれているように聞こえる。
だが、その本音は違う。
それはあなたを守りたいのではない。
変わってほしくないだけだ。
今の関係性。
今の立ち位置。
今の序列を崩されたくないだけ。
だからこそ、相談する相手を間違えてはいけない。
現状維持で得をする人間に、未来の相談をしてはいけない。
あなたの成長を喜べる人。
あなたが上に行っても、素直に祝える人。
そういう相手以外に、人生の舵取りを委ねてはいけない。
誰かに期待して、待つだけの人生
誰かに期待して、待つだけの人生。
この状態に入った人間は、ほぼ確実に成長が止まる。
人は一度コンフォートゾーンに入ると、驚くほど冒険しなくなる。
今の環境は不満もあるが、致命的な不安もない。
その中途半端な安心感が、行動を奪う。
仕事の現場でも、よく似た構造が見られる。
部下の成果は自分の成果。
チームの結果は自分の評価。
そんな空気の中で、「誰かがやってくれるだろう」という期待が育つ。
自分が動かなくても、いつか誰かが状況を好転させてくれる。
そんな幻想を抱いたまま、時間だけが過ぎていく。
だが、現実は冷酷だ。
他人は、あなたの人生に責任を持たない。
あなたのために本気で動いてくれる人間など、ほとんど存在しない。
それを理解せずに期待を膨らませるほど、裏切られたと感じる回数は増える。
本来、他人には期待してはいけない。
これは冷たい考え方ではない。
むしろ、健全な距離感だ。
期待をしなければ、失望もしない。
感情を他人に振り回されることもなくなる。
その代わり、行動はすべて自分で引き受ける。
自分の人生は、自分が動いた分しか前に進まない。
その上で、誰かが思わぬ成果を出してくれた時、そこで初めて生まれるのが「信頼」だ。
期待から始まる関係は、依存に変わる。
行動から始まる関係だけが、対等な信頼に育つ。
待つ人生をやめた瞬間からしか、主体的な人生は始まらない。
自分の機嫌を他人に依存する
自分の機嫌を他人に依存する。
これは精神的に最も幼い状態だ。
誰かの一言で気分が上がり。
誰かの態度一つで不機嫌になる。
自分の感情のハンドルを、完全に他人に明け渡している。
このタイプの人間は、常に外部刺激に支配されている。
上司が優しければ今日は良い日。
恋人の返信が遅ければ最悪の一日。
誰かに褒められれば元気になり。
否定されれば、途端にやる気を失う。
だが冷静に考えてほしい。
それはもう、自分の人生を生きていない。
他人の機嫌や都合によって、感情が上下する人生は消耗戦だ。
しかも、相手はそんな影響力を持っている自覚すらない。
自分の機嫌を取る責任は、本来すべて自分にある。
寝不足なら寝る。
疲れているなら休む。
イライラするなら、身体を動かす。
それをせずに、他人に機嫌を直してもらおうとするのは甘えだ。
自分の感情をコントロールできない人間ほど、周囲に迷惑をかける。
不機嫌を撒き散らし、空気を悪くし、「察してほしい」という無言の圧力を放つ。
だが、誰もあなたの感情の世話係ではない。
機嫌がいいか悪いかは、能力の一部だ。
感情を安定させられる人間ほど、仕事も人間関係も長く続く。
逆に、自分の機嫌を他人任せにしている限り、人生は常に不安定だ。
感情の主導権を取り戻せ。
他人に左右されない状態こそが、大人のスタートラインだ。
生きているつもりで、実は誰かに生かされている
生きているつもりで、実は誰かに生かされている。
この状態に気づかないまま年を重ねるのは、かなり危険だ。
毎日仕事に行き。
給料をもらい。
家に帰って寝る。
一見すると「ちゃんと生きている」ように見える。
だが、その実態はどうだろうか。
自分で選んだ仕事か。
自分で決めた生き方か。
自分の意思で動いているか。
これらに即答できないなら、それは生きているのではなく、生かされているだけだ。
会社があるから生活できている。
誰かが用意した仕組みの中で役割を与えられている。
決められた時間に、決められた場所へ行き、決められたことをこなす。
そこに主体性がなければ、人生はただの作業になる。
生かされている人生の怖さは、奪われた自覚がないことだ。
自分で考えているつもり。
自分で選んでいるつもり。
だが実際は、選択肢そのものを与えられているだけ。
主体性を失った人間は、環境が崩れた瞬間に何も残らない。
会社が傾いたとき。
役割を失ったとき。
守ってくれる誰かがいなくなったとき。
初めて、自分が何者でもなかったことに気づく。
生きるとは、本来もっと不安定で、もっと能動的なものだ。
自分で考え、自分で選び、自分で責任を取る。
その繰り返しの中でしか、「自分の人生」は立ち上がらない。
誰かに生かされる人生を選ぶのは自由だ。
だが、それを「生きている」と勘違いしてはいけない。
人生は、与えられるものではない。
取りに行くものだ。
最後に
ここまで読んで、胸が少し痛くなったなら、それは正常だ。
なぜなら、ここに書いた内容は特別な誰かの話ではない。
誰でも、気を抜けば簡単に当てはまる。
人生が腐っていく兆候は、いつも派手ではなく、静かで、日常に溶け込んでいる。
変わらない毎日。
疑わない思考。
雑な食事。
学ばない姿勢。
他人との比較。
行動しない自分への言い訳。
これらはすべて、少しずつ人生を鈍らせる要因だ。
だが救いはある。
人生が腐っていくのも、立て直すのも、原因は同じ「習慣」だからだ。
特別な才能はいらない。
大きな決断も必要ない。
必要なのは、身体と行動を先に変えること。
思考は、身体の後を追って変わる。
自分を律する感覚。
やり切る感覚。
昨日より少し前に進んだ実感。
それらは、机の上ではなく、身体を動かす中でしか手に入らない。
パーソナルジムGAINが大切にしているのは、筋肉そのものではない。
自分で決めて、自分で動き、自分で積み上げる感覚だ。
それを一度でも思い出せた人は、人生を他人任せにはしなくなる。
もし今、
「このままじゃまずい気がする」。
「でも何から変えればいいかわからない」。
そう感じているなら、まず身体から始めればいい。
人生は、いきなり好転しない。
だが、腐るのを止めることは今日からできる。
そしてその選択をした人から、静かに人生は立て直っていく。
生きているつもりで終わるか。
自分の人生を生き直すか。
選ぶのは、いつだって自分だ。
総括
神楽坂・江戸川橋エリアでパーソナルジムを運営していると、
身体だけでなく「人生が停滞している人」に数多く出会う。
最初は「痩せたい」「筋肉をつけたい」という相談でも、
話を聞いていくと、
・行動が続かない
・考え方が他人任せ
・毎日が同じループ
という共通点が浮かび上がってくる。
これは特別な話ではない。
神楽坂や江戸川橋のように、
仕事も生活も便利なエリアだからこそ、
人は簡単にコンフォートゾーンにハマる。
パーソナルジムGAINが提供しているのは、
単なる筋トレ指導ではない。
「決めたことをやり切る感覚」
「自分で自分をコントロールする感覚」
それを身体を通して思い出してもらう場所だ。
人生を変えたいと言いながら、
何も変えずに悩み続ける人は多い。
だが、身体を変え始めた人間だけは例外なく、
思考と行動も一緒に変わっていく。
神楽坂・江戸川橋で、
「このままじゃ終わりたくない」と感じているなら、
まずは身体から人生を立て直す選択肢があることを知ってほしい。

